STORY07

うつ症状を発症、自宅に引きこもる

Chapter2:「自分を生きる」働き方編

まずは挑戦、
走り続けた8年間

期待に応え、最高の結果を残そう
自分に負荷をかけていた

独立して8年間、がむしゃらにやってきました。
自分の未開拓な可能性を拡げるために、自分が得意と思える仕事だけに限らず、選り好みせずに依頼や声をかけてもらった仕事は断らずに、まずは挑戦をするというスタンスで取り組んできました。

紹介者やクライアントの期待に応え、最高の結果を残そうと無理をしすぎたのかも知れません。結果を残すことにこだわり過ぎたゆえのプレッシャーに堪えきれなかったのかも知れません。期待に応えようと、自分にとっては苦手なことを克服しようと自分に負荷をかけすぎたのかも知れません。

大勢の前で話すことに苦手意識を持っていた私は、講師仲間で「理路整然と流暢に講義をするタイプ」の人に引け目も感じていました。また、人に教える講師業務の経験もなかったので、見よう見まねで克服しようと必死でした。

理想の誰かに
なろうとしていた

心がポキっと折れて
人前に立つことが急に恐ろしくなった

実際、講義の度に毎回脇にひどく冷や汗をかき、やりきることに必死になっていました。それでも、なんとかやってこれたのは、元来の「元気でエネルギッシュ」な私の一側面が、冷や汗をかき必死になっている側面を、表面化しないように覆い隠していてくれたのだろうと思います。

内面では、「大人数でのコミュニケーションが苦手で、引っ込み思案な自分」を奥に押し込めて外から見えないようにし、「元気でエネルギッシュで情熱的な講師」というあるべき講師像を必死に演じていたのでしょう。
自分では無い「理想の誰か」になろうと必死だったのだと思います。

でもそうした無理も、8年が過ぎ、ある時を境に限界が訪れました。

心がポキッと折れてしまったように、人前に立つことが急に恐ろしく怖くなり、自宅に引きこもるに至りました。その結果、お声がけ頂いていた先々の仕事を全てお断りして、随分と迷惑もかけしてしまいました。申し訳ない気持ちで一杯になり、酷く自分で自分を責めました。

自分の中の多様性

社会に適合するか否か
過度な優遇と抑圧は不健全

今から思いますと、理想像を演じ続けた状態は、結局の所「引っ込み思案な自分」という自らの一部分を虐待していたのだと思います。
私に「元気でエネルギッシュな自分」と「引っ込み思案な自分」があるように、人には様々な側面があります。

社会に適合するために都合が良い部分だけを優遇し、不都合と思われる部分を抑圧する。これを無意識の内に継続して過度に行うことは、きっと不健全なのではないかと自分の経験から考えています。(適合するために努力も必要だとは思いますが、やり過ぎは禁物)

昨今、人材の多様性(=ダイバーシティ)を認め、受け入れて活かすこと(=インクルージョン)ということが重要だと社会的にも事業経営でも言われていますが、それは一人の人間の中でも同じです。自分の内面的な多様性を認め、受け入れて活かしていくことが、個人の心身における健全のためには重要なことだと私は思っています。

頑張れない時もある

責めるのでもなく、
甘やかすのでもない

引きこもる以前、新入社員研修を引き受けていた時には、私は新入社員の受講者に「元気があれば何でもできる!」「だから、まずは元気を出そうぜ!」と伝えていた時期もありました。

けれど、自分が引きこもり経験をした後は、「人は、頑張れない時もあるよね」と考えを改めました。

苦しい立場にいる人には、「頑張れない自分を責めるのでは無く、また自分を甘やかすのでも無く、頑張れない自分もいることを受け入れたほうがいい」「受け入れた上で、それは何故頑張れないのか?を自分に問うといい」と伝えたい。このスタンスは、新入社員に限らず、ビジネスリーダーに対しても同様であると考えています。

Key Message

自分ではない「何者か」になろうとしなくていい